2006年09月25日

悲運の人

名歌で読む日本の歴史
   松崎哲久  文春新書


名歌で読む日本の歴史
松崎 哲久著
文芸春秋 (2005.6)
通常2-3日以内に発送します。



緒言から

歴史に登場する人物は、程度の差こそあれ政治と社会に関わり、そして歌を残す。ならばその歌を、時代の背景を十分に意識しながら鑑賞すれば、歴史そのものが描けるのではないだろうか。



この文に惹かれて読んでみましたが、このなかで、気になったのが、

山上憶良の稿で・・・


位置情報

いざ子等早く日本へ大伴の 三津の浜松待ち恋ひぬらむ


は、憶良が大唐にあって日本への帰途に着く喜びを謳ったもの。

           中略

外国で望郷を詠んだものとしては小倉百人一首にある、


天の原ふりさけ見れば春日なる 三笠の山に出でし月かも
 阿倍仲麻呂

が名高いが、憶良の方がおよそ五十年も前である。


位置情報


・・・って、それだけかい!


山上憶良は遣唐使として渡唐しましたが、帰国して一応出世できたんですよ。


それに引き換え、阿倍仲麻呂さんは、

若くして学才を謳われ、717年遣唐使に同行して唐の都、長安に留学する。
仲麻呂は李白や王維と親交があったといいます。
日本人でありながら超難関の科挙の試験に合格を果たし、唐の高等官として役職を重ねます。
玄宗皇帝の厚い信任を得ながら大唐での高い地位に登りつめるという俊秀でした。


753年の冬、第10次遣唐使団の帰国に際し、中国側の使節として同行がようやく許され、唐の都・長安から揚州に下り、船出をする時に前述の歌を詠んだと伝えられます。しかしながら、遣唐使船が遭難してベトナムに漂着!



結局、阿倍仲麻呂は日本への帰国かなわず、異国の地・長安で没しました(享年72歳)。



望郷の想い絶たれ、当時としては長寿の72歳まで異国の地で暮らさざるを得なかった仲麻呂さんの心はいかばかりであったか。


百人一首に採集されたこの歌を詠んだ時ですら、日本を離れて30数年経っているのです。



この、『春日なる』には、『遠く日本を離れ、年月を重ね故郷の記憶も微かになって』という意味も重なっていると解釈されています。


それを、
『・・・が名高いが、憶良の方がおよそ五十年も前である』
の一言で片付けるなんて
もうやだ〜(悲しい顔)





あまの原ふりさけ見ればかすがなるみかさの山にいでし月かも


大空をはるかに仰ぎ見れば、月が出ている。今や微かな記憶になってしまった春日の三笠山――その山から昇るのを眺めた月と、同じ月なのだなあ。




posted by 金魚 at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 評論・対談 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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