2011年05月05日

寺田寅彦随筆集

本 寺田寅彦随筆集 
寺田 寅彦  岩波文庫 


連休に、なんとなく読みたくなって、拾い読みしてみた。

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 「天災は忘れた頃にやってくる」は寺田寅彦の言葉として有名であるが、著書中にその文言はない。

門下生の中谷宇吉郎(物理学者、随筆家)が紹介したが、寺田が常にそのようなことを発言していたので、この言葉を現実に寺田自身の言葉として紹介したらしい。



随筆【 天災と国防 】には次の文がある。

『 文明が進むほど天災による損害の程度も累進する傾向があるという事実を充分に自覚して、そして平生からそれに対する防御策を講じなければならないはずであるのに、それがいっこうにできていないのはどういうわけであるか。
そのおもなる原因は、畢竟そういう天災がきわめてまれにしか起こらないで、ちょうど人間が前車の顚覆を忘れたころにそろそろ後車を引き出すようになるからであろう。』


              (注)文中の太字や赤文字は原文にはありません。




寺田寅彦随筆集 第4巻
寺田 寅彦著 / 小宮 豊隆編
岩波書店 (1992)
通常2-3日以内に発送します。



第四巻に収録されている作品に、【 火事教育 】、【 函館の大火について 】がある。

【 火事教育 】
は、悲惨な火災事故として知られる「白木屋の火事」事件を受けて書かれたものである。

【 函館の大火について 】
は、二千人に近い死者を出した昭和9年の函館の大火について書かれているが、この中に、 

『なぜと言えば人間が「過失の動物」であるということは、統計的に見ても動かし難い天然自然の事実であるからである。
しかしまた一方でこの過失は、適当なる統制方法によってある程度まで軽減し得られるというのもまた疑いのない事実である。』


というくだりがある。



さらに、【 銀座アルプス 】という作品の最後には、


『 しかしもし自然の歴史が繰り返すとすれば二十世紀の終わりか二十一世紀の初めごろまでにはもう一度関東大地震が襲来するはずである。その時に銀座(ぎんざ)の運命はどうなるか。その時の用心は今から心がけなければ間に合わない。
困った事にはそのころの東京市民はもう大地震の事などはきれいに忘れてしまっていて、大地震が来た時の災害を助長するようなあらゆる危険な施設を累積していることであろう。
それを監督して非常に備えるのが地震国日本の為政者の重大な義務の一つでなければならない。それにもかかわらず今日の政治をあずかっている人たちで地震の事などを国の安危と結びつけて問題にする人はないようである。』


               中略

『 人間と動物とのちがいはあすの事を考えるか考えないかというだけである。』


という文章がある。



寺田寅彦は随筆の中で災害への備えを常に訴えていた。


随筆【 鎖骨 】には、こんな文章まで書かれている。


『 地震の時にこわれないためにいわゆる耐震家屋というものが学者の研究の結果として設計されている。筋かい方杖(ほうづえ)等いろいろの施工によって家を堅固な上にも堅固にする。こうして家が丈夫になると大地震でこわれる代わりに家全体が土台の上で横すべりをする。それをさせないとやはり柱が折れたりする恐れがあるらしい。それで自分の素人(しろうと)考えでは、いっその事、どこか「家屋の鎖骨」を設計施工しておいて、大地震がくれば必ずそこが折れるようにしておく。しかしそのかわり他のだいじな致命的な部分はそのおかげで助かるというようにすることはできないものかと思う。こういう考えは以前からもっていた。時々その道の学者たちに話してみたこともあるが、だれもいっこう相手になってくれない。』

       中略

『 犬や猫(ねこ)はこれをちゃんと心得ているようである。そうしてたいていのけがや病は自然の力で直してしまう。人間はわずかの知恵に思い上がって天然をばかにして時々無理なことをする。そうして失わなくても済むのに二つとない生命を失う場合が多いように思われる。』



先に紹介した随筆【 天災と国防 】の文章の前段には次の文がある。


『 文化が進むに従って個人が社会を作り、職業の分化が起こって来ると事情は未開時代と全然変わって来る。天災による個人の損害はもはやその個人だけの迷惑では済まなくなって来る。村の貯水池や共同水車小屋が破壊されれば多数の村民は同時にその損害の余響を受けるであろう。
 二十世紀の現代では日本全体が一つの高等な有機体である。各種の動力を運ぶ電線やパイプやが縦横に交差し、いろいろな交通網がすきまもなく張り渡されているありさまは高等動物の神経や血管と同様である。その神経や血管の一か所に故障が起こればその影響はたちまち全体に波及するであろう。』



さらに、


『 戦争はぜひとも避けようと思えば人間の力で避けられなくはないであろうが、天災ばかりは科学の力でもその襲来を中止させるわけには行かない。その上に、いついかなる程度の地震暴風津波洪水(こうずい)が来るか今のところ容易に予知することができない。最後通牒(さいごつうちょう)も何もなしに突然襲来するのである。それだから国家を脅かす敵としてこれほど恐ろしい敵はないはずである。
もっともこうした天然の敵のためにこうむる損害は敵国の侵略によって起こるべき被害に比べて小さいという人があるかもしれないが、それは必ずしもそうは言われない。
たとえば安政元年の大震のような大規模のものが襲来すれば、東京から福岡(ふくおか)に至るまでのあらゆる大小都市の重要な文化設備が一時に脅かされ、西半日本の神経系統と循環系統に相当ひどい故障が起こって有機体としての一国の生活機能に著しい麻痺症状(まひしょうじょう)を惹起(じゃっき)する恐れがある。万一にも大都市の水道貯水池の堤防でも決壊すれば市民がたちまち日々の飲用水に困るばかりでなく、氾濫(はんらん)する大量の流水の勢力は少なくも数村を微塵(みじん)になぎ倒し、多数の犠牲者を出すであろう。水電の堰堤(えんてい)が破れても同様な犠牲を生じるばかりか、都市は暗やみになり肝心な動力網の源が一度に涸(か)れてしまうことになる。』




未読の方には、おススメの作品。

                (注)【 天災と国防 】は、第五巻収録の作品 



とは言うものの、寺田さんの随筆は科学の話題が多くて、とっつきにくいかなぁw

そんな方にはこちらで。



【 団栗 】はそういったなかでも理系のテーマはなく、とても評価の高い佳品であります。
これを読んで気に入ったら他の作品を。

           横書きじゃあ、なんだかなー もうやだ〜(悲しい顔)



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posted by 金魚 at 09:29| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺田寅彦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月04日

寺田寅彦とウェルズ

以前に書いた記事、ここで
     kobito_b.gif クリックしてね


『緑の扉』についてコメントしました。



オイラの記憶で、


日本人の作家がこの緑の扉について書いていて、しかもその本の注釈が的を射ていない


のを覚えていたのですが、この時点でどうしても思い出せませんでした。



確か、夏目漱石関連だったと思い、吾輩は猫である、三四郎、門、それから、などの注釈を調べてみましたが、載っておらず、複数の出版社で探してもダメ。
  本屋さんで、文庫本の語注の部分だけを読みまくりました。もうやだ〜(悲しい顔)




??? 漱石じゃなかったんだっけ?



と、鴎外、志賀直哉、太宰治、三島由紀夫の作品まで検索の範囲を拡げて蔵書を開いてみましたが、結局見つからず、途方に暮れて書き上げたのがあの記事なのです。



こういう時って、不完全燃焼で悔しいよね。もうやだ〜(悲しい顔)



ところが、本日、久しぶりに読んでみたいと思って開いた文庫本、


寺田寅彦随筆集 第四巻
   寺田寅彦  岩波文庫

寺田寅彦随筆集 第4巻
寺田 寅彦著 / 小宮 豊隆編
岩波書店 (1992)
通常2-3日以内に発送します。


収録の『銀座アルプス』の随筆の文に


『この菓子箱のふたは自分の幼時の「緑の扉」であったのである。』

というくだりを発見しました。


というより、この部分に赤いしるしがついていました・・・・・。



でもね、この文庫本は昭和48年の発行ですよ。寺田さんの随筆は大好きでその後も何回か読み直したものの、ここ10年は確実に読んでいない。忘れるのも無理ないでしょう?



ただ、やはり、黄色く変色してしまっているにもかかわらず、この第四巻だけ残してあるのは、引っ掛かりがあったのでしょう。



この「緑の扉」の後尾にある注釈。

         バッド(下向き矢印)


「緑の扉、あるいは green door という成語は未詳。「緑」は幼い時代の形容に使われるので、著者の造語か。




ね、不勉強でしょ。寺田さんがO・ヘンリーの作品を読んだのはほぼ間違いないと思われるし、あるいはウェルズの「塀についたドア」を読んだ可能性も十分あるわけで、随筆の語句もそのような意味で使われています。

     (注)この解釈、全く金魚の独断であります。誤解のありませんように・・・


ああ、すっきりしたぁ。漱石関連というのも当たらずとも遠からずでした。



追記


この随筆集に収録されている【 科学と文学 】には、 『 ウェルズの未来記 』という記述がある。

寺田さんがウェルズを読んでいたのは確実なようである。O・ヘンリーよりも。

で、『未来記』とはなんぞや?というと・・・・・


ウェルズの『タイムマシン』は、1913年(大正2年)『八十万年後の社会』の題名で黒岩涙香が『萬朝報』に連載、大好評を博した(Wiki)


いわゆる、『タイムマシン』のことらしい。
1896年に執筆された。 『塀についたドア』は、1906年執筆。


寺田 寅彦 1878年(明治11年)〜 1935年(昭和10年)


要は、「寺田寅彦さんの随筆にある『緑の扉』は、O・ヘンリーではなく、ウェルズの小説を意識している」というのがオイラの見解です。


(注)この記事は2006年9月に書いたものですが、加筆訂正したため再掲しました。



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posted by 金魚 at 22:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 寺田寅彦 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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